
私という病- 出版日 - 2006-03-16
- 出版社 - 新潮社
- 著者 - 中村 うさぎ
- 形式 - 単行本
続いて、中村うさぎ2冊目。
デリヘル嬢体験記(3日間)と、それに至った経緯と、その後の自己分析の話。
私は影響されやすいので、読んでいる中で胃に黒い塊が出現したような気持ちになったけれども
読んでよかった。
というか、中村うさぎが書いてるものを、もっと読みたくなった。
今回、心に残ったこと。
私たちは、「分身としての他者」を求めるのだ。
己の中に抱える「分裂した片割れ」を投影し、かつ、
憎みあうこともなく理解と共感の絆で結ばれて、
一緒に支えあいながら暮らすパートナーとなるために、
私たちは「分身としての他者」を捜し求める。
かつて、私たちはそのパートナーを男たちに求めてきた。
だが、男たちは女たちの分身にはなれない。
愛やセックスで一体感は味わえても、根本的な部分での同一化は不可能なのだ。
だから『NANA』のような漫画が、女たちに支持される。
己の分身を見つけ、理解と共感の絆で深く結ばれ、一緒に暮らすパートナーとなる物語こそが、
一部の女たちの「引き裂かれた自己」の問題を解決し、生きる苦しみから救うためだ。
九〇年代から、女たちはずっと「自分探し」をしてきた。
おそらく、その「自分探し」は、これから「分身探し」へと発展するだろう。
男ではなく、女やゲイといった他者たちが、私たちの分身を引き受けてくれるかもしれない。
「恋愛」ではなく「家族愛」や「同士愛」の絆で結ばれた分身こそが
生涯を共にするパートナーとなり、
男たちは家の外で恋愛やセックスをする相手としてだけ機能する。
彼らは家を訪ねて来るけれども、そこには住まず、自分の家に帰って行く。
恋愛とセックスの相手であるから、彼らはいくらでも代替がきく。
けれども、パートナーであり分身である相手は、永遠に変わらない。
どちらかが死ぬまでその関係は維持され、「死を看取る相手」という役割を共有することで、
互いに孤独から救われるのだ。
これを読んで、
あぁ、親友である彼女に対する私の気持ちや、彼女との関係はこれなのかもしれない
と、至極納得。
彼女と私は、正反対、だけど根っこの部分では同じものを持つ。